長崎地区憲兵隊本部

 

炉粕町(爆心地から南南東2.8km)。諏訪神社のある裏山(金毘羅山裾野)で強烈な爆風が遮られたため、一部の窓ガラスが壊れ、屋根瓦が捲れる程度の軽い被害を受けていた。

1945年8月10日 早朝。

[メモ]
西部軍報道部員だった山端庸介は、被爆地長崎に入ると先ず長崎地区憲兵隊本部に足を向けた。市内の諸状況を把握し、撮影の許可を憲兵隊から受けるためであった。

Yamahata photographs (c) Shogo Yamahata
山端庸介写真(c)山端祥吾